2026年、1月4日の夕方。
母がトイレで気を失いました。
状況が明らかにおかしくて、怖くて、
急いで、訪問看護の方を呼びました。
15分くらいで、訪問看護の方が来られて、
二人で、ベットまで運びました。
その後、訪問診療の先生も来ていただき、
点滴が始まりました。
そして、母の状態は、もって1月末、
早くて1~2週間というところだと言われました。
食べられなくなってきてからは、
少しづつ、覚悟はしてきていたつもりでしたけど、
やはり、具体的な日数を言われてショックでした。
訪問診療の先生には、
「訪問看護が1日2回は来てくれるけど、
点滴やおむつ交換、体位変換等があるので、
看護師がいない時は、
娘さんがやることになりますけど。
入院させる事もできますよ」と言われました。
私は、家で看取るつもりで、
去年から訪問看護や訪問診療を契約したけど、
少し怖くなって、即答はできませんでした。
でも母が、デイサービスで書いた七夕の願いに、
「今のままでいたい」と書いていた短冊が、
母の願いだと思い、
家で看取る覚悟をしました。
翌日(5日)までは、
少し起き上がったり、
歩いてトイレに行こうとしていましたが、
途中で、脱力していくので、
到底私一人では、連れていけなくなり、
その後は寝たきりとなりました。
6日ぐらいまでは、少し話せていたけど、
だんだん、うなずく事もなくなってきたので、
近しい人たちに連絡して会いに来てもらいました。
5日間程は点滴をしていましたが、
状況は良くならず、痰がひどくなってきて、
次の段階にはいりました。
点滴を止める決断です。
点滴ををつづけると、
身体がむくんだり、痰が増えて呼吸が困難になり、
内臓も頑張って処理しようとして、
エネルギーを使うので、心臓も無理をするそうです。
もう回復が望めないなら、
本人が苦しまない方法を選択して
点滴を止めました。
訪問看護の方から、
おむつの替え方、体勢の替え方、床ずれ予防、
口の中の乾燥や痰への対応等、色々教わりながら、
息を引き取るまで、出来る限り母の傍らにいました。
亡くなる前日の夜、
呼吸が苦しそうになっていて、
夜中の3時頃、たまらず訪問看護の
緊急連絡先に電話して状況を説明しましたが、
家に来ても何もできないし、
「もしかしたら朝方かもしれない」
と言われました。
その後兄姉に連絡すべきか悩みながら、
朝になりました。
夜中よりは呼吸も少し落ち着いたようだったので、
9時に訪問予定の訪問看護さんを待ちました。
夜中に連絡していたので、
2人来てくれました。
すると、熱が39.3℃もあり、
血圧も酸素飽和度も低くかったので、
まずは、脇や鼠径部を保冷材で冷やして、
先生が来られるまで待ちました。
先生が来られた頃(11時)には、
熱も37度台まで下がっていましたが、
肺炎を起こしていると言われました。
座薬の解熱剤を処方され、
「気休めかもしれないけど。」と、
酸素ボンベの手配をしていただき、
「今日、明日くらいでしょう」と言われました。
きっと、私が一人で看取ることにならないように、
母も頑張ってくれたのだと思います。
息を引き取る直前には、
看護師さんと一緒に兄妹3人交代で、
身体を拭いてあげ、
看護師さんが、帰った後、
兄は、昼食を終えていましたが、
私は、朝からバタバタしていたので、
午前中の仕事を終えて来た姉と二人で、
昼食をとっていた時に、
一番母の近くに座っていた兄が、
母の呼吸音が聞こえなくなったことに
気づきました。
1月15日、14時45分頃。
(正式な死亡時間は、先生が来られて確認した時間ですが)
きっと、兄妹3人になるタイミングを
計って逝ったのでしょう。
享年96歳、大往生でした(>_<)
ひとしきり泣いた後、
帰ったばかりの訪問看護さんを再び呼んで、
看護師さんが、「エンゼルケア」といって、
身体が硬直する前に、体液が出ないようにしたり、
首や手足を固定して、(入れ歯もいれて、)
お化粧を施してくださいました。
完成した顔は、とても穏やかで、
少し微笑んでいるようにも見えました。
寝たきりになってからは、
「なんか、つまらん」と言っていたので、
母の好きな美空ひばりの歌を
聞かせたりしてましたが、
思うように動かなくなった身体から解放され、
自由になった事でしょう。
私は、今もまだ、寂しいけれど、
今まで、元気で長生きしてくれてありがとう。
私は、前を向いて頑張るので、
お父さんと一緒に見守っていてください( *´艸`)


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